May
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Johannes Vermeer "真珠の耳飾りの少女"
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こんばんは皆様
街はすっかり汗ばみ蒸気に充ちてあり、真夜中に響く猫のさかり声だって他人事では片付かない季節がやってまいりましたね。初夏という、さかりの五月が到来しました
折角のこのさかり月。さかりがてらに告白しますと、わたしにはクラシックな芸術に触れると淫らなことを想像してしまうという空想癖があるのです
それはきっと、お葬式で笑ってはならない場面でなぜだか急に笑いがこみ上げてくるという、あの不謹慎の原理、よくコントの題材にもされる設定にも似ていて、ピンと張りつめられた緊張感というものの崩壊に、この上ない快感をおぼえてしまうのです
なぜですかね。
それは初春の候に視てまいりました名画、フェレメールの「真珠の耳飾りの少女」も例外ではありませんでした。映画などにもなり、ご存知のかたも多いこの「真珠の耳飾りの少女」ですが、実物を目のまえに、わたしはじつに淫らな感情であったのです。館内のほとんどが撮影禁止だったため、上に貼った写真は外部にあった模型版なのですが
いってしまうと、ですね。なぜ淫らなきもちになるのかと、それはね、この画を視た瞬間に直感したのです。
フェレメールとこの少女、ただならぬ関係だな。と
低俗ささくれ、世界の芸術をなんと扱う者か! そう謗りをうけても抵抗はいたしませんが、けれど感じてしまったんだもの。フェレメールと少女から醸される「色」の気配を
実際にこの少女がだれであるのか。娘、妻、想像、恋人、とさまざまな説があり、いまだ明確な記録は発見されていない謎の作品ではありますが、真実がどうであれ、この画の表面からしとしとと垂れ流れてくる、どこか猥褻なドラマをはらんだ愛しみの液みたいなものが、視るものを悩ましい、色っぽい気分にさせているという事実にはかわりがなく、創作物とはこうでなくては。と、心底そう再確認をいたしました。
音楽もね、同じです
わたしが時折、特定のラッパーの方と曲をつくりたがる理由は、すべて「色」の出色具合が「ただならぬ感」を醸すのに絶対不可欠。と踏んでいるからで、ほんとうにただならぬ場合もあったかも知れないし、なかったかも知れないけれど
歌手+ラッパー=なにかあるな、この二人
フィレメール+少女=なにかあるな、この二人
といった勝手な空想を誘う(事実は別腹)
これが、創作物の醍醐味では? というのが、わたしの創作セオリーです
結婚しても、親になっても「色」抜けしたものだけは作りたくないよね。
と以前、KOHEI JAPANと語らったことがありましたが、「オレ、色よりエロだなあ」と遠い目をされたことをいま急におもいだしました。
彼だけには、それ納得だわ
けれどわたしはエロだけじゃ足りないな。色つきがいいな
だってわたしの言う色にはエロも含まっているし、ね
女の快感にはドラマが必要なのですよ。男性諸君

  Permalink | 2013⁄5⁄12 | 8:44 PM
 
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